
D52 117 [岡] 上り急行便(通貨?)の機関車の付け替えです.
岡山駅北部構内,神戸寄りに“開かずの踏切”と呼ばれた岩田町踏切があった.
戦前から戦後の高度成長が始まる頃までの幹線の踏切はどこも同様であろう.
待ち切れないで,自転車を担いで踏切の脇の歩道橋を渡るおじさんもあった.
岡山駅の西端,下関寄り,岡山機関区と間に島田踏切があった.ここもまた,
頻繁に列車が通リ長く待たされる踏切として地域の人々によく知られていた.
駅と機関区(中転)の間に地下道もあって駅の東西を繋ぐ重要な道路だった.
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D52 13[糸]
D52 15[糸]
D52 32[岡]
D52 45[広一]
D52 50[広一]
D52 55[岡]
D52 71[岡]
D52 75[岡]
D52 76[広]
D52 102[岡]
D52 105[岡]
D52 134[岡]
D52 142[吹]
D52 143[広]
D52 216[鷹]
D52 342[広]
D52 382[吹一]
D52 383[岡]
D52 384[糸]
D52 405[吹一]
D52 50
D52 418[糸]
D52 466[糸]
D52 383
D52形蒸気機関車は
EF13形や63形電車と共に,戦局の悪化に伴う軍需輸送目的で誕生した.
資材も節約し工作の簡易化を図りながら,最大の効果を求める設計であった.
東海道,山陽,函館,室蘭各線で運用するため終戦までに284両落成した.
“勝つまでは”という全体主義,国家目的の下では兵器も機関車も変わらない.
D52形は,D51形の設計を流用し,缶は極限まで大きくして設計された.
限界的制約の中で 技術は発展して 技術革新を促進したことは 否定できない.
缶の爆発事故を起こしたが,簡略化設計は技術史の中で再評価されてもよい.
戦後の用途は慮外であったが,半数が浜松,鷹取,広島各工場で改装された.
改装後のD52形は性能も安定し幹線の貨物輸送に大活躍した機関車である.
1200t牽引を想定して設計された日本で最大最強の貨物用機関車である.
艦載機の標的だった当時を知らないが,戦後復興はD52形と切り離せない.
C59とともにD52は美しい機関車で貨車を数えるのが子供の遊びだった.
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8620,9600,C51,C55,C57,C58,C59,C62,D51,C11