2021年 岡山市北区

高松城水攻めメモ

高松城水攻め史跡公園遠望 角力山古墳 吉備路
蛙ヶ鼻付近遠望    岡山市北区  2021/09/15

高松城水攻め史跡公園遠望
城址は高松稲荷大鳥居の方向1km先にある.右端に蛙ヶ鼻,白いフェンスは用水路.
高松盆地の湛水はここを流れ,吉備津,国境,一宮,笹ヶ瀬川,児島湖へと注がれる.

築堤は ❝水通し❞ に急造された.秀吉方は水と地形をよく解り 和議に持ち込んでいる.
城の立地,雨季の天候,信長の死,蛙ヶ鼻付近は中世から近世に移っていく戦乱の地.
(吉備線本村踏切付近の歩道橋から撮影)

高松城水攻め史跡公園
蛙ヶ鼻付近      岡山市北区  2021/09/22

「下口をつき塞ぎ候て責申候」(中国兵乱記)
「下口」方向から城方向を見る.大鳥居,備中高松城址,石井山蛙ヶ鼻が見えている.
下口,水通しとは流路下流の口,ここも備中高松城も標高は5m前後の湿地帯である.

大鳥居から南側,踏切近くまで嘗て水越提があった.高松盆地の洪水のはけ口だった.
標高が北方向と西方向に僅か高く扇状地なのであろうが一瞥して平坦な田園に見える.

高松盆地を大きなお盆に例えると,お盆の縁が欠けた部分が長さ約300mとすると,
その点に着目した秀吉はここに堤を築き塞いた.と言っては言い過ぎになるだろうか.

高松城城址史蹟(岡山市北区立田)
蛙ヶ鼻        岡山市北区  2021/09/22

水攻めの堤は蛙ヶ鼻から原古才の方に延びていたが,明治時代に鉄道工事で削られた.
辛うじて山の端が残り場所を示しているだけで今は農地になり地割が残るだけである.

水攻めで築かれた堤高は約3m.水文学(すいもんがく)でも新しく算出されている.
また 蛙ヶ鼻の小丘は秀吉が築いたのでなく 石井山の一部であることがわかっている.


上一宮川橋りょう
水越し提(備前一宮付近)