百間川から操山丘陵を望む 旧国道から国道百間川橋梁方向,すなわち,上流から下流方向を望んでいる. 向こうは操山丘陵.数千年前は操山は吉備の穴海に浮かぶ島であったそうだ. 旭川などの土砂が堆積した沖積平野の中,川は操山の東西で海に注いでいた. 江戸時代の百間川は 右岸の築堤は一部省かれて 操山を自然堤防としていた. 稜線上付近には古墳が存在し,百間川は古代から最近まで水田地帯であった.