百間川堤外の水田 財田(当時は長岡)~森下4.6km は,開業の翌年 1912年1月(明治45年)に開通した. 財田からほぼ直線に西南西に進んだ鉄道は百間川を陸閘(りっこう)で横切って原尾島に達する. 概ね直線で結ばれている.1961年まで国道も架橋しないで百間川の堤外をルートにしていた. 河床に線路が敷かれていた.堤外は一面の耕作地.その後も10年くらいは稲作が行われていた. 向こうの芥子山と手前の操山山塊の間を百間川が流れている.