ゴロゴロ大師(岡山県岡山市兼基)

ゴロゴロ大師

ゴロゴロ大師    岡山市兼基  2008/04/30

西大寺鉄道
「鳥坂山ゴロゴロ大師」は 操山山系の中腹,恩徳寺と里山センターより山一つ距てた東方の谷にある.
祠の石の穴に頭を突っ込むとゴロゴロと聞こえる伝承など諸説があると里山センターの方から聞いた.

ゴロゴロ大師は私たちの生活圏の近くなので難なく辿り着いた.静かな環境の下でひと時を過ごした.
積年の疑問「大師」はゴロゴロ大師かもしれない.そのような予感を得て,新緑の山道を引き返した.

西大寺鉄道の後楽園~財田~長利を走る気動車や山陽本線の列車が操山の山稜から眺望可能であった.
ゴロゴロ大師に人びとが殺到し,「関」が「大師」と改称されたのは1916年(大正5年)である.

大正デモクラシーの運動が盛んになっていく時代に健康を求める人びとの関心は祈祷師にも向かった.
「鳥坂山ゴロゴロ大師」は一過性の流行に終わったが,駅名は鉄道の廃止(1962年)まで残った.

西大寺鉄道大師駅が指す寺がどこなのか当時は知らない.鉄道廃止後半世紀近く経って疑問が晴れた.
高校の時の疑問がひとつ解けて得をしたような一日であった.他人にとって何でもないことではある.


老いぼれ爺の繰り言
歳取ると昔が懐かしい.幼児期からレンズに興味があったのだろうか,昔のことなので定かではない.
雨戸を閉めると,節穴から洩れた光線が外の景色を障子に写っていた.私のカメラオブスクラである.

上下左右が逆さまな像を倦かずに眺めていた.幼稚園では絵が好きな男児として話題になったらしい.
幼児期は森下駅の近くで遊んでいた.自動車といえば,幼児期にまつわるものでは進駐軍のジープだ.

亡母に言うには“アンタは他の人よりチョコレートをたくさん貰っていた”そうだ.食料の乏しい頃だ.
保育所へ岡電で通っていた.岡電は幼稚園から遠くない.ポール集電の紅い単車の記憶が残っている.

岡山電気軌道で通所した区間は,いろいろ総合すれば,城下~西川というのはほぼ間違いないようだ.
20歳前後,鉄道を利用して通学区間には阪和線天王寺~我孫子町約1年間も加えなければならない.

小学校から中学校までは理科の時間に居眠りをしたことはない.高校の頃はあまり良い思い出はない.
小学から高校まで西大寺鉄道の沿線で育った.高校に5年間通ったがその間に西大鉄道が廃止された.

大師駅付近
▼ 大師駅付近

西大寺鉄道 : さいだいじてつどう(サイテツ) 1910年~1962年 後楽園~西大寺市 11.4km