操山丘陵 岡山市中区沢田 2012/07/31
百間川河川敷から見た操山丘陵(金蔵山古墳あたり)
瀬戸内海が形成されて,吉井川,旭川、高梁川などの土砂が堆積してできたのが県南の平野部である.
中世の旭川は,大きくは2つの流れがあって,操山の東と西の2ヶ所で吉備の穴海に流れ込んでいた.
操山南麓は干拓地であるが北麓は旭川の氾濫原である.肥沃な土を運んだ旭川河口に文明が発達した.
百間川は近世の治水事業として有名であるが,古代は旭川本流は百間川より何キロか北を流れていた.
縄文,弥生時代の集落,水田,中世の遺構,橋梁の基礎などの遺跡群が操山の北麓で発見されている.
操山と中心にした中区は適切な命名とは言い難いが仮に縄文時代まで遡るならば無意味とも言えない.
中島,高島,清水など,水と関わる素直な地名や文字と音韻に特徴がある字が残る歴史的地域である.
画面の左は丸山の頂,中央の頂が金蔵山古墳であろうか.沢田の集落は半分くらい山裾に隠れている.
The Lit City Museum 岡山市ネットミュージアムのページ(金蔵山古墳)にリンクします.
操山公園里山センターで“操山ウォーキングマップ(1/10000)”が入手できます.頒価 ¥200_