末政川(破堤箇所)大日庵付近

水位計(末政川) 末政川復旧工事

大日庵       倉敷市真備町有井  2018/08/01


大日庵付近
大日庵と末政川右岸築堤(決壊地点付近)1880年(明治13年)の末政川決壊で被災した33人の慰霊塔が境内にある.
高梁川流域死者66人のうち33人である.川辺村の死者10人.旭川流域でも死者66人が出た7月初めの水害であった.

1884年(明治17年)に海嘯(かいしょう≒高潮)のため,655人の死者が出ているが,県下最大の自然災害である.
また岡山県,1892年(明治25年)の風水害で74人,1893年(明治26年)に415人の死者が出た記録がある.
1892年の水害は,小田川が決壊して呉妹村以東の各村は湖水に変じた.と,山陽新報(山陽新聞)に記事が載っている.

1934年(昭和9年)室戸台風,1945年(昭和20年)枕崎台風,1972年(昭和47年)の梅雨の被害も大きい.
海嘯とは,河口に入る潮が壁となって河を逆流する現象だそうだ.高梁川は水島灘に注いで,旭川,吉井川は児島湾に注ぐ.

大昔瀬戸内海は河であったという説がある.吉井川・旭川は紀伊水道に注ぎ,高梁川は豊後水道に注いでいたともいわれる.
背水現象は海と川でも起きる.日本列島,人の住むところは縄文海進期にはほとんどが海であったことも忘れてはなるまい.

水位計    末政川
水位計         末政川



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大日庵