
大日庵付近
大日庵と末政川右岸築堤 1880年(明治13年)の末政川決壊で被災した33人の慰霊塔が境内にある.
1884年(明治17年)に海嘯(かいしょう)のため655人の死者が出た.県下最大の自然災害である.
1934年(昭和9年)室戸台風,1945年(昭和20年)枕崎台風,1972年の梅雨の被害も大きい.
太古瀬戸内海は河であったという説がある.吉井川旭川は紀伊水道に注ぎ,高梁川は豊後水道に注いでいた.
高梁川流域死者66人のうち33人.川辺村の死者10人.旭川流域で死者66人.梅雨時の水害であった.
岡山県は1892年(明治25年)の風水害で74人,1893年(明治26年)に415人の死者が出た.
1892年の水害は,小田川が決壊して,呉妹村以東の各村は湖水に変じた.山陽新報に記事が載っている.
海嘯は河口に入る潮が壁となって河を逆流する現象.高梁川は水島灘に注ぎ,旭川,吉井川は児島湾に注ぐ.
背水現象は河口でも起きる.人の住むところは縄文海進期はほとんどが海であったことも忘れてはなるまい.
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