大師~藤原 1962年
朝の通勤列車
藤原~大師に窪地に架かる鉄橋があった.架橋の目的は洪水の際の避溢橋であろう.
百間川が造られる前の旭川は操山の東西に別れて流れ内海に注いでいたといわれる.
ここは旭川の氾濫原であったらしく.あたりの低湿地は元の流路ではないかと思う.
中島,高島,関(大師駅の旧名)など,水に関係する字名が旭川左岸に残っている.
列車編成について
上り通勤列車はボギー車(キハ6またはキハ7),単端,客車3両が普通であった.
ボギー車が検査の時などは,キハ8またはキハ10と梅鉢単端になることもあった.
単端の重連の場合は客車は4両が連結され,私の記憶では最大編成は6両であった.
梅鉢単端(キハ3~キハ5)の重連は,私が遭遇したのは数えられる程度であった.