兵庫県加古郡播磨町 1963年


宮崎交通 別府鉄道
別府鉄道5号       土山~中野  1963年3月

別府鉄道土山線の列車は1963年まで蒸機で運転されていた.
別府機関区にはB形の1号,2号,C形の5号,6号があって,
都市に近いところに蒸気運転の列車が走っていた日常があった.

1921年に野口線が開業し、1923年に土山線が開業した.
別府軽便鉄道は多木肥料の製品を積みだす鉄道として敷かれた.
野口線は戦時供出の対象になったが1947年運行を再開した.

山之上住吉神社の南を走る別府鉄道の列車.因みにこの一帯で,
1962年6月24日,考古学会をを揺るがす大発見があった.
私はそんなこととは知らない.一帯は緩い傾斜のある畑だった.

1962年6月24日,中学生,3人,土器,発見,で検索してみる.
播磨中学校の生徒3人がこの付近の採石場で土器片を発見した.
弥生時代後期から古墳時代初頭の村落で大中遺跡と命名された.

播磨郷土資料館ができて
膨大な出土品の一部を展示,DC302,ハフ5も保存された.
広大な「播磨大中古代の村」や「考古博物館」の施設ができた.
土山から大中までの線路跡は「であいのみち」緑道公園に転用.