C53 45 鷹取工場 1960年8月
赤錆びた姿だったけれど
C53を始めて見た.C59を見慣れた目には大きくは見えない.
45号は吹田教習所から鷹取工場に運ばれ一時保管されていた頃.
屋外に放置され赤錆びて数年後に走ることなど想像できなかった.
大阪に交通博物館が設立される計画があり,吹田教習所にあった,
65,555,C53は1957年12月鷹取に回送されている.
訪れた時,工場敷地に熱海軽便,若鷹号と一緒に並べられていた.
幼い頃の記憶に英賀保駅の引込線の曲線上に機関車が並んでいた.
駅を通過する度,動きそうもない鉄の塊の淡い記憶が残っている.
戦時下に英賀保に三角線が設けられていたことを後になって知る.
それら赤錆びた機関車はC53,D52などであったと想像する.
人民は陛下の赤子.鉄道も機関車も兵器として製造されたD52.
3気筒弁装置、テコの撓みの問題を残したままのC53あたりか.