EF30形先行試作機
EF30の1号機は新製後,米原機関区に配置され田村ー米原で1年間ほど運用された.
18m 長いオーバーハング 無塗装の車体 赤い帯 関門トンネル用に設計された機関車.
田村にはED70がいた.北陸線の交流電化の起点だが基地というより田んぼの中の駅.
ED70の塗色は私の記憶では急行気動車の朱色に近く後の交流機車体色ではなかった.
1962年末には米原~田村の直流電化,田村南方で交直の切替ができるようになった.
交直流電車は通過できるようになったが,機関車は蒸気,ディーゼルで繋ぐ時代が続く.
1957年(昭和32年)から1977年(昭52)まで20年間は機関車が牽引した.
この区間に投入された機関車はE10,D50,D51,ED30,DD50,その他.
北陸線電化,交流電気機関車の歴史に触れると,ED46,EF30,加えてED30,
これらの機関車はすべて北近江の地(田村ー米原)で試験が行われた記録が残っている.
交流機関車・北陸線電化 抄
1957年(昭和37年)10月 田村~敦賀 交流電化
1962年(昭和37年)12月 米原~田村 直流電化
(デッドセクションは田村駅南)
1991年(平成3年)9月 田村~長浜 交流を直流化
(デッドセクションは長浜駅北)
2006年(平成18年)10月 長浜~敦賀 交流を直流化
(デッドセクションは敦賀駅北)
米原では田村まで往復して,E10 2が牽く列車を写したが,残りは 第二種旧車の頃.
今は敦賀まで直流に変わったけれど北陸線の電化の歴史は趣味的にも楽しい線区である.