芸備線 1962年
準急しんじ号 急行ちどり号
気動車慣熟運転  小奴可~道後山 1962/03/14

新見から備後落合の間は芸備線で最後まで残った蒸気運転の区間であった.

最終日の14日までに準混の撮影に行きたい.翌15日から気動車が走る.
気動車準急 ❝たいしゃく❞ が1往復新設された.その慣熟運転に出遭った.
2階建で大きな屋敷を通り過ぎた頃,気動車のタイフォンが聞こえてきた.

中国山地.大規模農場も見えないけれど大きな建物が私には不思議だった.
小奴可あたりが砂鉄採取で拓けた地域と知って謎が解けたような気がする.
釜石,八幡で近代製鉄が始まる前,中国山地は近世最大の工業地帯だった.

中国山地の要衝・東城町は 大正時代まで 日本のたたら製鉄の中心だった.
猫山周辺,小奴可あたりは 近世以後,鉄穴流かんなながしが盛んに行われた地域だ.
あの藁屋根の建物が現存していたら私たちが誇れる文化財だっただろうに.

鉄に纏わる歴史からは中国山地の地形,芸備線,木次線に興味は尽きない.
近代1次産業発展の礎として,芸備線・木次線沿線は僻地なんかじゃない.
1962年3月15日 準急「たいしゃく」運転開始,後に急行に格上げ.


芸備線
小奴可~道後山


「高梁川流域の 鉄穴流 しによ る 地形改変 と水田開発(赤木祥彦・貞方 昇)」
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