総社宮参道(岡山県総社市総社)

まちかど郷土館 地蔵石仏

総社宮参道      総社市総社  2016/11/09

吉備線(桃太郎線)東総社から 南東へ 徒歩 約5分
( 総社から 東へ 徒歩 約25分 古い町並みを進む.)

高梁川下流域は,古代吉備国の真ん中に位置しヤマト王権に並ぶ勢いがあった.
上流域ではたたら製鉄が行われていたので下流域に広い沖積平野が形成された.
その中心が岡山市西部,総社市あたりにあり,有史以前から開けた地域だった.
奈良時代に総社は備中国の国府が置かれて舟運と松山往来の結節点でもあった.

近世以後も県内の交通体系は変わらず明治37年中国鉄道が堪井まで開通する.
大正14年総社~湛井を廃止して総社~西総社が開通して伯備南線と繫がった.
伯備南線が北へ伸びるに連れて,松山新見方面の高瀬舟は鉄道に転換してゆく.
舟運が衰退し.西総社は総社に変更され,総社は東総社と変わって現在に至る.

総社宮廊下(総社市総社)
随身門,回廊