2022年 笠岡市
笠岡町立東小学校正門(笠岡市)
蛙ヶ鼻(高松城水攻め史跡公園) 八幡神社
笠岡小学校正門      笠岡市  2022/01/02

現在市街地になっている笠岡市の大部分は元々深い海であった.
北川・新山に古墳時代の長福寺裏山古墳群が残っているけれど,
地名の笠岡は吉備氏一族の笠臣氏に由来するのではといわれる.

南北朝時代陶山氏は金浦に居を構えた.後に笠岡山城を築いた.
戦国時代,毛利方の村上水軍が笠岡城(古城山公園)を築いた.
こうして瀬戸内海沿いの一寒村は海の玄関として発展していく.

関ヶ原合戦後徳川氏の直轄地となって,備中から備後に変わり,
元禄の頃に再び幕府の直轄領となり笠岡に代官所が設けられた.
「いも代官」と今も呼ばれる井戸平左衛門の最終着任地である.

代官が推したサツマイモは享保の大飢饉で多くの人命を救った.
そのような史実から笠岡の民家には床下に芋壺の備えがあった.
戦中戦後の食糧難の頃,サツマイモは米麦に次ぐ主食であった.