義経号機関車 京都鉄道博物館 2020/01/03
幌内鉄道 義経号機関車
京浜間,阪神間,北海道の順に官設鉄道が敷かれた.北海道開拓使が最初に輸入した機関車2両のうちの1両.
京浜,阪神はイギリスの鉄道技術が採り入れられた.北海道はアメリカの開拓時代に倣って開発が進められた.
1号義経,2号弁慶,と命名されて,J.U.クロフォードが計画した幌内鉄道(札幌~手宮)で活躍を始めた.
同形の機関車は1889年まで輸入され幌内鉄道に合計8両存在した.後に鉄道省形式7100が与えられた.
同僚の弁慶号は東京に輸送中に関東大震災に遭った.黒磯に留置されていた頃には義経号とされていたという.
弁慶号として神田の交通博物館に復元保存された.主従取り違えられたために弁慶号が先行しその名を馳せた.
その頃,義経号は梅鉢鉄工所でタンク機関車に改造されて入換機になっていた.鉄道80周年行事に担ぎ出し,
鷹取工場で元のテンダー機関車に復元され整備状態で工場に保管されていた.交通科学館を経て京都入りした.
メーカーのH.K.Porter社(アメリカ)は,線路規格の低い路線に適する小型蒸気機関車を得意とした.
アメリカの初期のナローゲージくらいのサイズ.牛若丸のように可愛い15トン,軌間は本州と同じの3’6”.