西大寺鉄道跡(森下~後楽園) 岡山市中区浜 2010/02/09
夢二記念館(後楽園駅跡)近傍俯瞰
西大寺鉄道は1910年西大寺軌道として免許を取得.3つの区間に分けて開通し.森下~後楽園 1.3kmは 1915年開業した.
鉄道は 旭川を渡ることはなく,蓬莱橋と鶴見橋を徒歩で渡って「後楽園前」(番町線)から岡山電気軌道に乗り継いて中心部と結ぶ.
旭川上流(遠方)から 新幹線,岡北大橋,山陽本線,新鶴見橋,鶴見橋です. (放水路に架かる蓬莱橋は架替時中心位置が移動した )
2月14日(後に変更)裸まつりの日には後楽園から西大寺観音に向かう人たちのため 車両が総動員されてピストン輸送に当たった.
構内は広く 線路は新鶴見橋以北まで続いていました.その空地の北端に小さな転車台があって気動車(単端)の転向が見られました.
会陽の日を除いて,単端が ボギー車の次位に連結されるのは朝の通勤通学列車1往復だけだったと思います.点検のためボギー車が,
走らない日は 単端が客車を牽きました.ボギー車が動かない日は,朝の通勤通学列車は単端の重連,客車が4両連結されていました.
赤穂線の延伸で東岡山(当時西大寺)までの開通が近づいた数年間は,日中は キハ6とキハ7の単行が走っていたという日常でした.
勾配を駆け上がり 後楽園用水を渡ると駅構内です.「後楽園」(こぉーらくえん)ホームに立つ駅長の肉声が列車を迎えていました.
赤穂線は 日生~伊部が工事中,東海道全線電化前の山陽本線はC59,D52の天下の時代.原動機付自転車の普及以前のことです.
よく遊び(飽きもしないで)よく遊んだ青春の日々を過ごしたところ,旭川河口の地方都市,もし可能なら 時計の針を逆に回したい.
旭川上空(画面上が北です)
1911年 (後の)西大寺市~(後の)財田(5.5km)開業
1912年 (後の)財田~森下(4.6km) 開業
1915年 森下~後楽園(1.3km) 開業
1962年 西大寺市~後楽園(11.4km) 全線閉業