ARII #A7002 C53形(C53 45)
幼児期の記憶の断片
C53 45は 姫路で廃車された後吹田教習所に保管されていたことは何かの記事で知っていた.
鷹取工場に移されて以後,若鷹号,65号,555号と列をなして保管されていたのを見ている.
赤さびたC53は大阪にできる交通科学館に輿入れするため,1961年工場で整備が始まった.
試運転の予定日を教習所のM先生から知らせていただいて見学することができたのは幸運だった.
構内試運転の当日,ブラスト音が揃わず,弁の調整を繰り返しながら側線を何度も往復していた.
退職されたメンバーが調整に加わったがそれでも当時は見習いでベテランではなかった由である.
バッバ バッバ ババ、バッバ バッバ ババ、ちょっと奇妙に感じられる3気筒の響きだった.
C59やD52を見慣れた目にはデフレクターの付いたC53の重心は高くは感じられなかった.
この時鷹取工場の側線で同世代のNさんと出会った.二眼レフを構えた熟年の方の姿を見ている.
その姿がN氏と後でわかった.阪神方面の方々と行き来するようになるのも試運転が機縁である.
構内試運転では付いていたデフレクターは,記念運転の時には外されて交通科学館に保存された.
赤錆びた機関車群が円弧を描いて留置されて山の方にまで入っていた.英賀保の北に間違いない.
C53 45は 英賀保に留置されていたうちの1両だったのかもしれないが私の憶測に過ぎない.
英賀保の休車群の記憶はあるのに有年で赤穂鉄道を見た記憶がない.人の記憶は断片的なものだ.
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