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C53形非公式側画像


天賞堂 C53形 デフなし


メモ

C53 45は,姫路で廃車された後,吹田教習所に保管されていたことを 何かの記事で読んだ.
C53は吹田の山から鷹取に移されて,若鷹号,65号,233号などと並べて保管されていた.
赤さびたC53は大阪にできる交通科学館に輿入れするため,1961年鷹取で整備が始まった.

試運転の予定日を教習所のM先生から知らせていただいて見学することができたのは幸運だった.
構内試運転の当日,ブラスト音が揃わず,弁の調整を繰り返しながら側線を何度も往復していた.
工場を退職されたメンバーが作業に加わったが,C53の弁装置はベテランでも難しいと聞いた.

バッバ バッバ ババ、バッバ バッバ ババ、3ビートのドラマの練習をしているようだった.
C59やD52を見慣れた目にはデフレクターの付いたC53の重心は高くは感じられなかった.
三気筒の排気音を軽快に感じたのは意外だった.特殊な機関車という感じは受けなかったと思う.

この日鷹取工場側線で二眼レフを構えた年配の方のお姿があった.録音しておられたようだった.
この方が芦屋にお住まいの高名な方と教わったのは,この日出会った高校生のNさんからだった.
構内試運転が機縁で阪神方面の方々と行き来するようになる.趣味豊かな人に囲まれ幸せだった.

構内試運転では付いていたデフレクターは,記念運転の時には外されて交通科学館に保存された.
動輪のタイヤは見たこともない薄さだったが,京都神戸間1往復するための計らいのようだった.
もう半世紀も前の青春のある日,C53 45を数人の人たちが見守っていたことを時折想い出す.

英賀保駅の北側にカーブした側線があって赤錆びた機関車がたくさん留置されていたことがある.
C53 45は その中の1両だったのかもしれない.停車中の車窓の1コマも消えかかっている.
英賀保の休車群の記憶はあるのに有年で赤穂鉄道を見た記憶がない.人の記憶は断片的なものだ.

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